まつりを知る

おまつりのこと

みなと八朔まつりとは
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およそ300年前から続き、那珂湊住民によって代々愛され続け、伝統を繋いできた、格式高い神事。御神輿が海に入る「お浜入り」、祭礼には「獅子」と「みろく」の人形踊りや、きらびやかな各町内の「屋台」が町内を練り歩く。
那珂湊天満宮について
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菅原道真公を祀り、700余年前の鎌倉時代に、海から道真公の神霊がこの地に降り立ったといわれる。江戸時代、第2代徳川光圀公が菅原道真公の御神像を造らせて以来、祭礼の式は幾度か改められ、数百年を経た現在も伝承されている。
お浜入りとは
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海から出現したと言われる天満宮の祭神・菅原道真公の伝説に基づき、町々を練り歩いた神輿が、海に担ぎ入れられる神事。豊作・豊漁や家内安全を祈り、担ぎ手の威勢の良い掛け声と、神輿に飛び散る海水のしぶきが、早朝の海に広がる。
供奉行列とは
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神輿や御神体などを誘導する行列のことをいう。無形民俗文化財である「六町目獅子」や「元町みろく」、着飾った女性や子どもたちの「手古舞・稚児」、そしてお神輿、祭りの責任役員たちが、順番を連ねて、ゆっくりとおごそかに歩いていく。
橿原神宮について
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神武天皇・桓武天皇・崇道天皇を奉斎した社で、奈良時代の和銅年中に創建したといわれ、室町時代の仁寿年中になって石崎村升原(茨城町中石崎)から、湊村の宮山町(明神町)に奉遷した。
お神輿について
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3日目の天満宮では「神幸祭」のあと、年番町に引き継がれ、厳かな神幸行列となって御仮殿まで巡行します。ここで神霊は一夜を明かし、翌朝、和田町を中心とした人々によって海中に神輿が沈められ、その中を荒々しく揉み合います。
獅子について
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御祭禮には六町目より露払いとして獅子を出すことになっています。六町目の獅子は3匹の獅子で「ささら」と言われ底なし屋台で、あやつり人形のようなもので、屋台の上で「踊り」が披露されます。
みろくについて
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元町のみろくは白、青、赤の神様で 、住吉明神、春日明神、鹿島明神です。 みろくの演舞は、お祓いとお神楽をあげることや祝詞をあげるときの神事です 。 また 、屋台の上で 、3体が「町渡し」のときにも演じられます。

おまつりの見どころ

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「天満宮御祭禮」は、「浜下り祭」の形式をとる祭礼です。鎌倉時代に、海の中に何かキラキラ光るものがあり、それを天満宮にお祀りし地元の崇敬を集めたとの言い伝えがありました。
神様は年に一度、神社からお出ましになり、海へお帰りになる。その後、町内を一巡し神社へお戻りになる、それを町内こぞってご案内し、また神社にお迎えするというのがこの祭礼のストーリーです。

京都祇園祭・浅草三社祭など同様のストーリーの祭礼が各地にありますが、神様がお出かけになるのが「神幸祭」、お帰りになるのが「還幸祭」です。

「天満宮御祭禮」では、天満宮をお出ましになった神様は、「御仮殿」にてお泊りになり、明朝6時、和田町の海岸で、海に入る、これが「お浜入り」です。

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那珂湊のお浜入りは、数百人の若衆に担がれた神輿
が、海中に入り、大勢の観衆が見守る中、漁師町・
港町である那珂湊らしい手荒い歓待を受けます。
これが那珂湊天満宮御祭禮の見どころのひとつです。

那珂湊のお浜入りは、数百人の若衆に担がれた神輿が、海中に入り、大勢の観衆が見守る中、漁師町・港町である那珂湊らしい手荒い歓待を受けます。これが那珂湊天満宮御祭禮の見どころのひとつです。

「供奉行列」は、御神輿に乗った神様を、各町内がお供をし、町内を巡行します。
延べ千数百人に及ぶ、厳かな供奉行列も見どころのひとつです。

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まつりの風流物として、豪華絢爛な各町内の屋台も、多くの人を惹きつける魅力の一つです。
令和7年は、各町計12台の屋台が出場予定です。

大正時代の半ばから、現在の形の屋台が主流になり、笛・鐘・太鼓に加え三味線の入ったお囃子が八朔祭りの特徴。祭り囃子として三味線が加わったことが特徴といわれています。
お囃子の種類は、メインは「おっしゃい」、「四丁目」・「鎌倉」・「とっぴき」等約10曲、局面・状況によってアップテンポからスローテンポまで使い分けます。これも見どころのひとつです。

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各町屋台紹介